日本人の社会意識に対する一考察--集団意識、恥意識、中流意識を中心に[日语论文]

资料分类免费日语论文 责任编辑:外语论文网更新时间:2017-04-01
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 はじめに

 

日本はとても特徴がある民族であると思われる。第二次世界大戦後、わずかの数十年の間、日本は著しく発展して、今では、世界経済第二位に登った。その原因を究明すれば、勤勉に働くほか、日本人の社会意識も大きな役割を占めている。日本は全世界で二番目の経済が大変発達した国ですけど、多くの欧米の先進国と比べると、ぜんぜんちがっている社会意識をもっている。私は日本人の集団意識、恥意識と中流意識三つの面について論述したいと思う。この三つの社会意識はもっとも表われできる。集団意識と恥意識が日本人のもっとも独特な国民性といえ、この集団意識の源は稲作文化の影響にある。昔の日本は農業型の国で、弥生時代の稲作文化の共同意識と儒教思想が深く影響された。日本人の集団意識と恥意識はこの影響で生まれた。そして、中流意識も日本人の独特な社会意識である。日本人は社会学の影響で、広い中産階級を現代民主、豊かで、発達した社会の人構造の表現とする。日本の総理府で、日本人の生活制度の意識をほぼ毎年調査しているが、ここ20年以上ほどの調査はだいたい同じである。日本人はほぼ90%の人が中流意識を持っているということである。自分の生活が上流であると思っている人はせいぜい1%以下なのである(「現代日本概况」 李中林)。彼らは中産階級ということがよいと思っている。だから、中流意識は日本的なものになっている。それでは、日本人の社会意識はどのように生まれたか。日本社会にどんな影響を与えたか。私たちはこの意識から何を習うべきか。ここで、私は以上の三つの意識を調査し、比べて検討したいと思う。日本人の社会意識を研究することによって、日本人のいい特性をどのように勉強するかはこの文章の主旨でる。

 

第一章 集団意識

日本人は団結心を持っている。即ち日本人の集団意識である。日本人は自分がある集団に属しているという意識、つまり集団志向が強い。集団意識が日本人のもっとも独特な国民性といえる。「出る釘は打たれる」と言う諺は日本人の生き方を端的に表しているし、集団に異を唱えたり、背を向けた者には「村八分」と言う処罰があった。

日本人の根気の一つとしての集団意識は、大勢の人を合わせて、ひとつの目標を目指して、あまり広くない島国日本を世界経済に脚光を浴びさせた。この集団意識の源は稲作文化の影響にある。稲作文化は、日本人の集団主義の形成に大きな影響を与えた(「日本人の国民性」 呉兵)。集団意識の成立は、日本の歴史的な背景と無縁ではない。はるか弥生時代に始まる稲作文化が集団意識に影響があると言える。その時代には、生産性が低いし、稲刈り期が短いので、合作しなければ、稲刈り期に終わらなかったが、稲刈り期には近隣どうしが助け合い、共同作業を行う習慣がある。これは、最初の集団意識であった。農村には今日もなお、田植えや稲刈り期にはそのような共同作業も残っている。狩猟文化と異なり、生活共同体なのである。

日本は、稲作文化圏に属していて、歴代の日本人は高温多湿な環境の中で共同作業の方式で稲作を栽培してきる。稲作文化労働について次のように述べられている。稲作労働は、「日本人の人間としてのあり方や、日本語や日本文化は游牧、畜牧から出てきた西欧文化と今日では表面のところは同じ様になって来た様でも、大いに相違したところがあります。」稲の耕作は、毎年同一の土地で栽培できる。従って田の位置や用水施設が固定することになる。

「古くからの耕地の共有と、耕地を保全する潅漑土木工事についての集団的協業を基準とした農業共同体の集団的生活がきそであった。」

稲の耕作には、それに必要な潅漑設備から苗代、田植え、収穀、脱穀などにいたる共同その作業が必要であり、その為家族を単位として横に結合する村落共同生活が営まれ、人々の協力、団結や調和の精神が尊重される。こうして家と家との喚起がフックとなり、強固な地域社会が形成されていた。一つの水路によって、村の住民の運命が緊密に一体化され、生死一体化される。年始に、一同に揃え、五穀の農作を神々に祈念し、水が枯れば、一連の田を作っている家々が心一つにして降雨を願うし、水の具合が順調で豊作となれば、同じ流れに属する家々が共にその豊作を喜び、神に感謝する祭を行う(「日本歴史」 杨華)。

 共同管理の施設や共同作業の多くの地域社会では、自己中心的な活動をすれば、全体に迷惑が及ぶことになる。こうして、個人よりも集団の利益を常に優先させる仲間意識、つまり、今日の集団主義が形成されるようになった。今日でもこうした集団行動様式は企業や団体などに受け继がれていて、他人との調和を重んじることが日本特有の集団として見なされている。

儒教思想の影響も無視できない。中国から伝えられた儒教は「仁」と「和」の思想を宣揚して、日本人に巨大な影響に与えた。「和」という思想は、日本人が儒教に影響され、まっすぐな気持ちだ。それに、思想的に集団意識が成立していた。この集団意識は、日本人の心の中に深く埋蔵している「和」の表れだと思う。

集団主義がもちろんよいところがある、一方、悪いところもある。第二次世界大戦後日本の経済が飛ぶように早く発展した。そんな発展が日本人のその集団意識といったいどのような関係があるか。日本という国が強調するのは群体の観念である。まさに日本は集団意識によって、日本の民族団結、協力し、絶えず各種の困難を克服して、日本の社会に絶えず前進を促して、大和民族のこれら元気な素質は日本の経済の急速な成長に内在する原動力になった。集団意識を志向する民衆の技量は国家の目標実現に広範な協力を得て、政府は集団意識に対する忠誠を利用して権威に従い経済発展を促進することができ、国家の実力を昇格させ、暮らしを改善する。

集団意識は日本企業の中でも重要な作用を発揮する。組織と企業のきずなの力をつなぎとめるのは集団意識の忠誠なのである。企業にとって、最も肝心な点は管理する従業員をどのように組織して全力で仕事に対処して働かせるかにある。実際には日本企業は一つの大家族で、すべての従業員はこの家庭の中の一人である。日本企業の中で、集団主義を維持する思想の魂を利用して集団の内部の調和を維持する。核心はグループ全体の優位を発楊して、集団全体の利益を守る(「解读日本与日本人」 刘金钊)。集団の主人になる人は義の思想で指導しており、日本企業の管理センターの主要な対象が集団で個人ではない。日本企業は従業員の企業に対する忠誠を強調して、従業員の間の団結協力を強調して、企業を企業のすべての成員の共同体と見なして、それによって企業の従業員の企業に対する帰属感を強化して、従業員の隊列を安定させて、企業の競争力を強めた。

第二次大戦戦敗後、日本経済は不況な状態になってきた。日本の人々は「先進国に追って、追い越せ」との心意気を持っていて、日本経済の復興のために努力し始めた。

日本経済は1950年からの10年間の高度成長時代に入った。すなわち、1955年からの10年間の実質成長率は9%、続く1965年からの10年間のそれも8%と、20年間の長期にわたって、日本の経済は世界に高い成長を続けた。それで、1955年には資本主義国第七位であった日本のGDPは、12年後の1967年には第二位となり、かつて「中進国」と言われる日本は「経済大国」といわれるようになった。このようなスピードは、破天荒な出来事であった(「日本社会」 中根千枝)。

実は、国際的援助などの原因もある。しかし、日本人自身の努力は無視できない。国家の復興という出来事は、自分一人で、または何人かではできないことだ。そんなに短い時間に、そのような発展をえたのは日本人の協力いわゆる日本人は集団意識を持っているからである。集団意識は日本経済発展の原動力であると思う。「日本人を一人一人見ると、可愛いほど間が抜けているが、一つに集まると本当に大したものです」という言い方がある。それはその通りだと思う。一人になると日本人は、他国の人と比べて特別な所がないかもしれない。でも、集まれば大きな力になってくる。日本人はこの「集まる」精神を持って、日本を「経済大国」にさせたのである。

日本人の集団意識といえば、知人にたいして、日本人は「和」と礼儀正しく、他人ためのを思うことを重んじる;集団内部の人に対しては現しは自制に、謙虚で、雅やかで礼儀ただしい。日本人は特に人と自然、人と社会、人と人などの各種の関係に調和がとれていることを重視して、特に人間関係を重視して、感情の上の親和を強調している。重大な決定をする時、形式的ではなく、団体の成員の討論によって決定がなされて、人を導いている。いったん団体の決議を形成したら、いかなる人もすべて全力で対処しなければならない。日本人集団の力はここから生まれる。日本人の集団意識は社会的に強大な凝集力を生んで、このような凝集力は集団内部の成員に互いに助け合う心を生み出す。この行為の方式は小さいときからの交際に始まり、人間関係が拡大するにつれて調和がとれ、人との協力精神を育成し、正しい競争の観念を形成する。それらはすべて重要な意義を持っていて、多くの人とのつきあいに、効率の良好な社会の気風を形成し、労資の関係にも比較的調和がとれ、犯罪率などを下げて、ある程度、日本の社会の安定と団結と発展を促進している。

集団意識により、日本人は素晴らしい秩序と規律を作り出した。日本人は自分を中心にしないで、他人の目をよく気にする。他人の事をよく考えることができる。そして、社会全体が「和」を尊重している。日本の町を見ると、歩行者はきちんとした身なりをして足早く歩き、行き交いは慌ただしい。自動車は決められた道筋にしたがって走り、交通整理をする警察官もいない。それでも無茶な進入や追い越しはないし、たまたま渋滞になっても、運転主がクラクションを鳴らすことはまれだ。電車のなかで、人々はタバコも吸わないし、話もしない。このようないろいろなことは、日本人がよく他人を考えて、自身のことをきちんとする一面をあらわしている。それも、小さい範囲の集団だけではなく、全民族あるいは全国という規模である。

集団活動、集団感情、集団観念の長期的な影響で、すべての成員はおよその同じモードを形成して、みんなと一緒にいれば、心強くて何でもできる。でも、集団から離れて外に出たら、普段の日本人とぜんぜん違う印象を受ける。たとえば、国連の会議では、日本人はいつも笑顔で沈黙するばかりと言われる。集団から出て一人になると、心細くて何をすればいいかわからなくなる。想像力を働かし、個人的意見を重視する世界では日本人には、大きなチャレンジが期待されている。今の不景気から脱っして、世界の理解をえるにはまだまだ努力しなければならない。その他、“内と外の区別を設ける”その集団意識は日本の際立っている民族の特性で、当民族を停滞させる。当集団が最良だと思うことを、許してはいけない。調査によると、もし日本の会社の内部の違法な活動例えば脱税等、圧倒的多数は部外者の摘発あるいは政府の部門からの摘発で、もし自分の会社のスキャンダルを摘発する人がいるならば、“内通者”、“裏切り者”だと思われることがあって、会社の中で孤立している。ある会社員はふだんリーダ―に対して不平がいっぱいで、いつも会社の内では不満をもらしても、彼が外部と接触する時はかならず自分の会社のためになる言葉を言う。“内と外に区別を設ける”この集団意識は同時に日本人に強烈な排外思想をもたらしている。

欧米式の自由主義社会では、たいていのことは個人の自由に任されるが、同時に自由に行ったことはすべてがその人の責任にされる。日本人の場合は、みんなで決められたことを行ったからにはみんなで責任をもつという考え方になるのであるが、このような共同責任の考え方は欧米では無責任と見なされるのである(「ことわざの文化」 安藤邦男)。例えば、こういう話がある。ある人がアメリカにいたとき、配達された靴のサイズが違っていたので、その靴店へ取り替えに行った。別の靴と取り替えてくれたことはいいのだが、そのとき店員に苦情を言ったところ、「配達係が他人の靴と間違えて配達したから、悪いのは配達係だ。自分に苦情を言われる筋はない」といったそうである。日本なら、本人に責任がないとしても、同僚などの過失は共同責任として謝罪する。アメリカ人にはそういうところがないようである。日本社会にはいろいろな社会集団があるが、すべてこの家族集団のようにそのおかれている場所によって結びついているのだ。

一般の会社の例をとって考えると、例えば、自己紹介をするとき、たいていの人は「トヨタのものです」という。事務系であろうと、現場系であろうと、管理職であろうと運転手であろうと、まず会社名を挙げる。この点で、職業や資格をまず挙げる欧米とは、大いに違うところである。

 

第二章 恥意識

「恥の文化」が出現するのは日本の社会的な構造と深い関係がある。はるか弥生時代に始まる稲作文化の影響がある。日本は農業国であり、水稲耕作のため昔から村落共同体を形成していた。村落社会は、「家」を単位として、その家族共同体(「家」のメンバ-)は緊密な結合関係にあり、村落共同体には閉鎖的な人倫共同体が形成された。そこで親密な感情的、情緒的な人間関係が形成されていた。農村では今日もなお、田植えや稲刈りには近隣同士が助け合い、共同作業を行う習慣が一部に残っている。狩猟文化と異なり、定住水稲耕作を維持するためには、常に集団作業と共同体秩序とが必要であった。また、儒教思想の影響も無視できない。徳川幕府は朱子学を取り入れたので、忠孝を重んずる道徳は江戸時代以降特に広まり、「家」制度の強化にもつながった。家長を始め,家族の成員は「家」に従わねばならず、武士階級は一朝事あれば、御家断絶と、連帯責任を取らされた(「定訳菊と刀」 長谷川松治)。独立した個人の意思、個人の主体性は形成されようがなかった。

こういう背景の中で、日本人は自分の行動に対する他人、特に共同体の成員の批評に常に気を配っている。他人と違う行動をとることを避ける傾向がある。他人がどう思うかを気にし、絶えず他人とバランスをとり、他人から影響を受けたりする。つまり、自分が他人に迷惑をかけているかどうかである。このような見方、態度、行為によって、「恥の文化」といわれる日本人の国民性が形成されてきた。「恥」を重んじる日本人は、二つの問題点を持つ。第一に、個人の自立性を育てにくい傾向となりやすい。個人においては個人としての厳しい責任感に裏打ちされていない「甘え」の態度を育てやすいとともに、個人を取り巻く周囲の人々は新しい理想に生きようとする個性を抑圧する傾向を持ちやすい。それで多くの日本人はいつも他人と似たような生活を送っている。彼等は仲間外れにされることを恐れる。自分を強く主張することや周囲の意見と違うことや、個性を展開することなどを好まない。だから曖昧な言葉や、婉曲な意見など色々日本人に特有な現象が現れる。つまり日常生活の中で、模倣が多くなって独創が少なくなる。更に、日常の会話でも、同じような価値観がひょいと顔を覗かすことがある。第二に、自分の属する集団以外の社会に対しては、無関心で無責任な態度を生みやすい。たとえば、「旅の恥はかき捨て」である。

「恥の文化」には否定的な側面があるかもしれないが、角度を変えてみれば、「思いやりの文化」ともいえる。世間の一員である自分は自らの行動次第で、恥をかいたり、世間から名誉をえたりする。世間に迷惑をかけないように他人に思いやりをもって行動をすることが求められているからである。これは恥の文化の積極的な一面である。

もう一つの積極面は恥の文化は日本社会発展の原動力であることである。ル-ス・ベネティクトは『菊と刀』で「日本人は恥辱感を原動力にしている」と述べている。つまり、恥が行動の原動力となっている。場合にふさわしい服装をしなかったことや、何か言い損ないをしたことで、非常に煩悶することがある。この煩悶は時として非常に強烈なことがある。これに人々の行為は拘束されている。真の恥の文化は外面的強制力に基づいて善行を行う。常に恥は強力な強制力となる。ただ、恥を感じるためには、実際その場に他人がいあわせるか、あるいは少なくとも、いあわせると思い込むこと、さらには、今、その場にいなくても強く意識する他人が存在していることが必要である。例えば、名誉のために、自らの心の中に描いた他人に対して理想的な自分にふさわしいような行動をする。つまり、みんなが恥という同じ規則にしたがってゲームを行い、それをお互いに支持しあっているようである。こうして「恥」による(お互いを気にしあう)独特の集団意識が形成され、みんな一緒に頑張る。その結果、国の発展も促進されている。この恥の意識は中国人の道徳にはあまりみられないが、日本の発展の人的な原動力になっているように思われる。

恥の文化に対して、罪の文化がある。「真の恥の文化は外面的強制力に基づいて善行を行うのに対して、真の罪の文化は内面的な罪の自覚に基づいて善行を行う。」(『菊と刀』P258)と述べている。日本人は「恥の文化」、欧米人は「罪の文化」といわれる。恥の文化は人に迷惑をかけるような恥ずかしいことをしないということを道徳基準とする。キリスト教文明の欧米では、行動の規範には宗教の戒律があり、神の戒律を守れば、心は清澄、一点の曇りもないのだが、それに反すると強い罪の意識を持つ。彼らの心には常に神がいるのである。それをベネディクトは「罪の文化」と呼ぶ。また、罪の文化では、罪を犯したものはそれを告白することで心の重荷を下ろす(「ことわざの文化」 安藤邦男)。しかし、恥の文化では、罪を告白しても心は軽くならない、それどころか悪い行いが世間に知れない限り、心は悩まないのである。ここでは、幸福を祈願する儀式はあるが、贖罪の儀式はない。

確かに、恥が日本人の生活において、非常に重要な位置を占めている。他人を判断の基準にして自己の行動の方針を定める。みんなが同じ規則にしたがってゲームを行い、お互いに支持しあっている時には、日本人は積極的に行動することができる。彼らはそれが日本人としての「使命」を遂行する道であると信じる場合には、いっそうゲームに熱中することができる。こういう恥の文化はずっと日本人の行動を支配している。しかし、社会の変化につれて、恥の文化もかわってきた。今、多くの日本人は確かに外面の他人の目を気にしてはいるが、しかし、他人の存在は稀薄になっている。

 

 

第三章 中流意識

社会学の影響で日本人の中流意識がでてきた。日本人は広い中産階級を現代民主、豊か、発達社会の人構造の表現とする。中流意識はお金や生活に追いかけられる苦しさとは違い、常に充実した楽しいライフスタイルを念頭に置いている。日本人の中では「上を見れば限りがない、下を見ても限りがない」お隣とうちは同じ程度」「私は平均的な日本人」といった生活程度の世間並み意識が中流意識と等置され、一般的な社会認識とされている。日本人はなぜそんなに強い中流意識がもっているか。これは、日本人は自分のことが普通の人間と同じで、この世界も弱肉強食の世界ということを信じている。

日本の近現代史では、中産階級の理解と中産階級の実際の状況の実態についていくつかの主要な変更があった。19世紀の後半に、明治維新時代、革新的な知的エリートのセンスたちはヨーロッパの先進国から社会の変化を鑑賞した。中産階級が、将来、社会の主流になれると信じている。急速な発展と変化の社会的紛争の削減するように、中産階級を標準とする彼らは下層階級が徐々に生活水準と社会的平等を促進することをアドヴォケートする。この時、"中産階級"は古典的な意味で、さらに所得や財産を標準として分割したの中産階級である。現在の中産階級は、昔の資産があり労働者階級より、資産がなし資本家になってしまう。日本で、中産階級も「一億総中流」と言う。1960年代後半から70年代にかけての日本社会では、中流論争や一億総中流論が盛んだった。貧しい日本社会が高度経済成長により発展し、欧米のように大量の中流が存在する安定した社会になるかどうかについて、当時の日本人が大きな関心を持っていたという事実が背景にある。概ね各国の政府は、自らの政策を正当化するため、中流は多く安定した社会で格差も小さく、また不公平感も弱く公正な社会だと主張する傾向がある。社会学における社会階層研究は、近年、中流崩壊論争や、格差社会論争につながっている。小泉首相による構造改革、いわゆる小泉改革が格差を広げたという主張もあるが、それ以前のバブル経済やバブル崩壊時期から格差拡大は始まっており、関係はないとする主張もある。ただ、契約社員や派遣社員など非正規雇用が、法改正により日本でも、幅広い分野で認められるようになったことは事実である。また、データ上、格差が拡大したように見えるのは高齢化のためであり、現実にはそれほど格差は大きくないとする立場も存在する。もともと高齢者層内では所得格差が大きく、この層の人口が増えれば格差は拡大したように見えるからである。しかし、最近の日本では高齢者以外でも格差が大きくなっているとする分析結果も存在する。

アメリカでは、医師や弁護士が中流の典型だそうだが、とてもそこまで行く人は少ないように思う。中流階級というより中産階級と呼んだ方がよいかもしれない。中流階級としては、イギリスの教育を受けた人々が、自分の子供達をパブリックスクールに入れるためにかなり質素な生活をしているとも聞いている。この人達もやはり中流の人たちだと思うのだが、中流の中段くらいだろうか。高名な作家で自分の階級は、中流の中の上だと細かく位置づけていた人が居たように思う(「国家の品格」 藤原正彦)。このように考えると中流とは、安定した収入があり、数年分の蓄えくらいはあり、適度に生活をする上で楽しみを味わえる状態程度に考えた方がよいかもしれない。ヨーロッパでも、中流の範囲は、案外広いのではないだろうか。では、なぜ中流と感じるのか。そこは、私も疑問である。ほとんどバランスをとらず、あくせくしているのに、やはり、富の蓄積の違いかもしれない。産業革命後の世界は、西洋中心で動いてきた。日本が豊かになったのは、この数十年だけである。明治は、良かったという人も居れば、貧しいだけの時代だったとも思う人もいる。世界の五大国と自慢しても国民生活は、お粗末である。今は、不況だが、まだまだ日本は、豊かな国だろう。お金の使い方を知らないから、ブランド物を買ったりするのだろうと日本人が思う。良い意味での身分相応が定着する前に、富の蓄積に押し流され、手っ取り早く富を持ったことを実感できるブランド物を買うことにつながったのだ。豊かさの基準がこのような点にあるとすると、ブランド物を持っていると十分自分は、中流だと感じるのではないだろうか。以上は今の日本人の考えである。私達も普通の人間である。中流の世界を追求していいと思う。

 

 

終わりに

 

われわれ中国人が以上三つの日本人の社会意識にある積極的なところを勉強すべきである。調和ある人間関係の啓発をするためには人間関係は社会関係の表現形式であるから、互いに付き合う過程の中で発生する人と人の間の関係が重要である。肝心な点は個人の利益と集団の利益の巧みな結合であると思う。集団は個人に対して責任を負って、個人を尊重して、個人が集団に参与することを許す。仕事の上では個人は集団に属して、共に群体の発展のために努力する。祖国の現代化建設事業の中で、特に国家意識、大局意識、団結の心、努力奮闘する精神をもって、国家と民族の発展進歩中で個人の価値を実現させる必要がある。人間関係の稀薄化で、特に、今の若者にとって、「恥の文化」は大きく衰退している。世界経済の一体化に伴って、多くの若者の観念が変わり、ある欧米人のように、他人の意見を無視して、自分だけを追求する。このような行動規範が悪いとは言えないが、文化に対して、少し調和を欠くような気がする。伝統的な「恥の文化」には人間としての美点があった。だから、日本の若者だけではなくわれわれ中国人も、伝統の精神に学び、今日に生かしてほしいと願う。そして、中流意識を追求しなら、社会急速発展の矛盾を減少できる。国際文化交流は日ごとに頻繁になるに従って、積極的に外来文化を役立て成果を収めれば、我が国の社会経済の建設に非常に重要な役割を果すことが出来る。日本人の社会意識は今日まで依然として日本の経済と道徳などの領域でその積極的な作用を発揮している。私達は社会や経済建設を行う中で現実から出発すべきで、積極的にその精華の部分を吸収して自分の役に立てなければならない。いうまでもなく、不用の部分も排除すべきである。その他の良い外来の文化を引き続き吸収して、我が国の社会の経済のために役に立て、民族の特色を持ち、中国の国情体系に適合する文化がきっと作り上げられると信じている。

 

謝辞

 

 卒業論文の指導教師として、賈小妹先生がご多忙にもかかわらず、何回も精緻なご指導をしていただいた。本研究を行うことにおいて、本論文作成中、本論文の結びに当たり、特にこの論文についての論旨、構成、言葉遣い、日本語の表現などに関することは、先生から細かいご指導をいただいたおかげで、この卒論が順調に出来上がった。ここで心から感謝の意を表したいと思う。

 

参考文献

「1」刘金钊.「解读日本与日本人」 

「2」黄海建.「日本人の特点」  

「3」杨華.「日本歴史」  

「4」李少東.「日本概況」 

「5」李中林.「現代日本概况」 

「6」呉兵.「日本人の国民性」 

「7」柏田康史.「ナショナリズム」 福冈大学研究部论集

「8」松井嘉和他.「日本文化史」  

「9」山田美佐子.「日本の歴史事典」 

「10」豊田豊子.「日本の地理と社会」 

「11」土居健郎.「罪と恥」 

「12」金田一晴彦.「日本人の言語表現」 

「13」会田雄次.「日本人的意识构造:风土 历史 社会」 

「14」安藤邦男.「ことわざの文化」

「15」長谷川松治.「定訳菊と刀」 

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